Shinichi Takeda
Books
『西風』 第1号です。
となりの音楽でも聴きながら…
気楽に読んでみてください。
何かが変わる風。何かを変える風。それが、『西風』。
農業従事者にとって、重要な風が『西風』。
その『西風』をブラジル日系社会に吹かそうと作られた同人誌。
近々、第2号も出版されます。
同人誌 『土曜勉強会 2014年度』 改め 『西風』 第1号にむけて
まず、何を書こうか ~土曜勉強会(プロローグ)~
昨年度、後半から『土曜勉強会(仮称:この名称でとりあえず、よぶことにする)』なるものに参加し始めた。どのようなものが、『土曜勉強会』であるのか。まず、そこから、書き始めよう。といっても、わたしは、この会の由来も、歴史も、目的もわからない。話し合われているようだが、わたしには、ピンとこない。
さて、この会の発端はというと、戦後までさかのぼる。そのように、書いてよいのだろうか。『土曜会』という名のグループがあったそうだ。存在したということは、活動もしていただろう。そして、現在の『土曜勉強会』は、元祖『土曜会』にあやかって命名した、というよりも、もともと、水曜日に集まっていたが、みなさんの都合で土曜日に移行したので、『土曜会』または、『土曜勉強会』と仮称ではあるが、付けたらしい。それが、この会が誕生したいきさつである。ただ、この会の存在意義はというと、各界で活躍されている日系人の有志が土曜日に集まり、意見交換をすること。それが、ひとつの目的であるというのである。さきほど、目的がわからないと書いておきながら、一応、わかっている範囲で書いてみた。
では、現在の『土曜勉強会』は、どんな活動をしているのだろうか。じつは、こうである。昼食会にはじまり、ゆっくり勉強会がはじまる。最近、この順番を変えようということになり、まず、勉強会を開き、そのあと、懇親を深めるため、昼食会に移行する形式になった。勉強会は、雑談形式、または、座談会のような感じといったらいいだろうか。月に一度の定例会で誰かが、テーマを決め、発表をすることになっている。このテーマについては、とくに規定がない。その都度決めていく。とにかく、この会は、『自由』なのである。発想も自由、発言も自由。と言いながらも、ちょっと、『日系社会』よりだろう。今年に行われたテーマは、後述するとして、とにかく、大変なのだ。しかも、この期に及んで、『同人誌』の出版をしようという話が話題にのぼり、いま、こうして、書き散らかしているのである。この忙しいのに…だ。本業を差し置いてするわけにもいかず、この原稿もだいぶ以前から少し書いては校正し、また、書き足しているので、ほぼ、細切れ状態で、原稿が完成に近づいている。そろそろ、締め切りも近くなり、ちょっと、あわてている筆者である。
聞けば、この出版する『同人誌』に書く内容は本人任せ。しかしながら、この原稿、三人の大先生方が目を通すという。わたしの原稿は、この会にふさわしくないということで、消される箇所が多数発生なんてことになるかもしれない。しかも、文のスタイルや内容は、すべて本人任せなのだから、そのようにしてしまおうと意気込んでいる。いや、いいのだろうか。きっと、そのように言っておきながら、それとなく、さとされるのではないだろうか。まずは、書いてみようと思うが、私の本当の文のスタイルに比べて、かなり、角をつけて書いてしまっている。こういう風に書きたくないのだが、書いている。『なぜ?』という疑問ははじにおいて、そんなことよりも、初めてこんなに長く書く原稿。しかも、いきなり出版するとなると、ちょっと、まじめに書かないとまずいと思うのである。というのも、わたしの夢の一つ、それは、私の本を出版すること。経済的な理由から、原稿を書いても、当然、実現できないことがいま、こうして、実現しようとしている。若い時、情報技術関係の参考書の一部を書いたことがある。書店に行っては、『あ、ここ、自分が書いたところ』と本を片手にとってみて、にんまりしていたのを思い出す。
とにかく、みなさんの目が恐怖である。こんな感じで書きはじめていいのだろうか。あとで、後悔しながら公開されるのがちょっと、辛い。もう、書き始めたことだし。しかも、もう、一千字以上書いてしまっている。いいことにしよう。自分で判断して、行動。それが、わたしの性格の一つでもある。優柔不断の私に似合わないかもしれないが、南米に住みついて、覚えた一つの術である。これで、わたしの自己紹介の一部終了したと思ってよいだろうか。というのも、この文章の最後には、著者紹介を書いておいてほしいという。本当のところ、いろいろなところにわたしを紹介したものを書き散らかしている。探せば、私の素性に辿りつくことだろう。しかも、書いておく必要があるのかという疑問もある。それに、私の自己紹介など恥ずかしくて、書きたくない。わたしのことをわからなくても、本文を読んでいただけたら、それでいいのである。薄っぺらな人生を歩んでいる私に、紹介するようなこともない。かいてきたのは、恥と頭。わたしの紹介を私が書いたところでなんの面白味もないように思う。
さて、書き出しは上々。もう、原稿用紙で軽く四枚程度は書いているはず。これで、書きなおせ!という言葉が聞こえてきたら、どうしよう。夜な夜な、不安のまま、書き続けている私がここに居るのである。


素朴な疑問が出発点① 『日系社会』ってなんだろう
この会に出席することによって、わたしは、意外と『日系社会』について知らないことがよくわかった。世間は、せまいと、よく耳にする。ところがである。その狭い世間を知らないで生きているのだ。それが、私だ。でも、サンパウロ州カンピーナス市に位置する東山農場のことは、結構、詳しく知っているつもりである。三年間、そこで、働いたからである。しかも、二十年以上も以前、わたしが、ブラジルに渡り、はじめてお世話になった農場なのだ。とにかく、牛と戯れたかった。とくに、酪農。でも、希望する農場がなく、東山農場に入ったのである。私の人生そのものであった。そこではじめて、『日系社会』と接することになる。それから、さまざまな形で色々な『日系社会』に触れてきた。どちらかというと、どっぷりつかっていない、『日系社会』を傍観してきたという方が正解かもしれない。なんとなく、入り込めるようで、入り込めないのが、わたしにとっての『日系社会』なのである。人間、『住めば都』というが、私にとって、いまだに、『住んでも都?』という感じなのである。
まぁ、それはともかく、そうこうしているうちに、いつの間にやら、こういった『土曜勉強会』に月に一度、私は、参加することになった。とはいっても、唐山農場にお世話になってから、二十年程度の歳月が過ぎている。ところで、この『土曜勉強会』について、いままでの感想は、とにかく、マニアックな話題となるので、私としては、どう表現してよいのかわからない。ついていけないというより、予備知識が乏しく理解が難しい。それが、本音だ。とくに、故人の生きざまを詳細に語られても、それが、本当にあった話なのか、検証する余地もない。あまり、わからず、発表を聞いているさなか、わたしは、うとうとしてしまった。悪いことに、ばっちり、DVDに記録されてしまった。ユーチューブやフェイスブックに載せないでほしい。意外にもう、どこかに、そして、ひそかに、動画がアップされているかもしれない。これがもとで、勉強会と懇親会の順番が逆になったのである。私の居眠りが発端といってもいい。それはそれとして、経験された貴重な体験談を聞くことは、大切である。しかし、それを裏付ける証拠がほしいとわたしは、思う。これが、当時の写真です、とか、こんなことを書き残していました、とか、じつは、ここに、こういう記録があったんですとか。そういう裏付けがあると興味が湧くのだが、あまり、そういったことが発表において、掲示されないため、わたしとして、ちょっと、理解に苦しむところもあるのである。もっとも、私自身が、『日系社会』を知らなすぎるといえば、それまでだけれど。こんなことを書いていても、時を忘れるように、『土曜勉強会』のざっくばらんなお話は、進んでいく。しかも、どうしても不勉強な私には、わからないことがいっぱいになってしまう。わたしは、『日系社会』ってなんだろうとこの土曜勉強会に参加しているうちに、ふと、思い始めたのである。わからない。そもそも『日系』って何なんだ。しかもその『日系』で構成される『社会』が『日系社会』なのだろうか。

素朴な疑問が出発点② 『日系人』、『Nikkei』、『日本人』、それとも…
ついこの間も、私は、『日系人』の定義がわからなかった。全く、理解に苦しんだ。いまでも、わからない。わたしにとっては、とっても不明瞭なのだ。一応、定義があるのだが、よく考えてみるとこの『日系人』とは、一体、何者なのだろう。わたしは、日本人なのだろうか?本当に胸を張って日本人といってよいのだろうか。いやいや、二十二年もブラジルに住めば、日系人だろうか。もう、どっちだかわからない。そんなことが頭によぎる。しかも、わたしは、ずっと、日本人だと思っていた。いや、日本人に間違いないだろう。うーん、本当のところ、どっちなのだろう。
というわけで、ちょっと調べてみた。すると、次のようなことが分かってきたのである。まず、戦前の『移民』を見てみよう。なんで、『移民』かといえば、日本を離れないと、『日系人』になれないと思うからだ。日本を離れる、つまり、そういう人を『移民』というだろう。だから、『移民』の定義を探してみた。あるある、見つけた。えっと、こう書いてある。『労働を目的として外国に渡航する者』それが、『移民』である。しかも、そういう人々を『邦人』とも呼んでいた。うん、ちょっと、わかってきた。戦後はというと、『他国に定着することを目的とする人』が『邦人』であり、一時滞在者についても『邦人』となり、『移民』と区別されて使われるようになったそうだ。しかも、この『移民』たちが定着してできたコミュニティが、戦前は、『在伯同胞社会』と呼ばれ、戦後は、『日系コロニア』『日系社会』であったそうだ。そして、そのコミュニティを構成するのがわたしの知りたい『日系人』ということになる。
日本側や外務省の『日系人』の定義は、『日本国籍を有さないが、民族的に日本系と考え得る者』というものである。これでは、ちょっと、という意見がいま、出ている。つまり、『血統だけではその範囲を画し得ない』というのだ。また、ローマ字の『nikkei』は、どうだろう。先祖に依存する問題ではなくて、『state of mind』を扱う問題であり、『nikkei』とは、『日系コミュニティと価値を共有する人たち』であり、『一人以上の日本人の先祖を持つ人、(そして/あるいは)自分で『nikkei』であるというアイデンティティを持つ人』だそうだ。精神的な面も含めた『日系人』の考え方だ。だいぶ、納得できる説明にぶつかった。
つまり、私にあてはめると、一体、どうなるのだろう。
まず、わたしの国籍は、間違いなく『日本国』。だとすると、やはり、『日本人』とわたしが、思い続けていれば、私はいつまでも、『日本人』だろうか。いや、待て。『日系人』のような気もする。しかも『一世』かもしれない。
ちょっと、まって。じゃあ、わたしは、『一世?』。『一世 = 日本人?』っていうこと。でも、『日系人?』だって。どういうこと?つまり、わたしは…